熊本水害から今年4年目を迎えるけど
僕は 8年前の「熊本地震」でも
支援企画をやってて
東日本大震災の被災地・宮城県石巻市で
熊本地震復興祈念LIVEをやって
そして3年半前に起きた
熊本水害・・・
今回、熊本水害で被災した友人たちを
応援するために企画したオンライン講座の
仕上げに2回目の熊本入りをして
翌日の仕事の都合上
僕は仲間より1日早く分かれて
ひとり帰路へ・・
その帰り道に
8年前の熊本地震で崩落した
南阿蘇村の立野の阿蘇大橋や
斜面崩壊した阿蘇市の車帰の跡を
見て回った。
石巻のLIVEから相当な年月が経ってるけど
支援金を預からせていただいた責任で
一度見て回らないとって思ってて
思いかけず今回 その機会を得れた。
崩落し若い学生の命を飲み込んだ
その場所や橋は
立派な橋に架け替えられ
知らない人は気が付かないだろう
その「場所」がそういう「場所」って事を
勿論、その街の人は
その記憶や体験は「風化」なんて言葉は
意味を持たないように
残す、残さないなんて基準さえない話
でもやがて その人たちがすべて
この世からいなくなった時・・
残す・・遺すものって何だろうね?
原爆ドームを残しても
核爆弾は作られ続け
石巻の大川小学校が遺構として残されても
学校現場での真の防災意識は・・・
原子力発電所さえ再稼働してる・・・
良いことなんだけど
熊本水害で崩落した橋にも
仮設ではあれ、橋は架かっていた
やがてその橋も その景色も
当たり前になり「あの日」「その後」は
消えていくことだろう・・
僕らが「遺すもの」ってなんだろね
何を伝えていけばいいのだろう
そこを考えていきたい
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