2015年の春
東日本大震災の最大被災地
宮城県石巻市
そこで起きてしまった 大川小学校での悲劇
何度となくこのブログで書いてきたけど
その最初のもうレポート記事みたいに
書いてあるのをまとめると・・
赤字の部分をクリックすれば
各記事に飛びます
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石巻 大川小学校 「知ること」の向こう側へ Vol1
石巻 大川小学校 Vol2「空白の51分」
石巻・大川小の悲劇 黒く塗られる現実
石巻・大川小学校 塗り替えられる「空白の51分」Vol 1
石巻・大川小学校 塗り替えられる空白の51分 Vol 2
石巻・大川小学校の悲劇「塗り替えられる空白の51分」Vol 3
石巻・大川小 塗り替えられる空白の51分 VOl4 最悪の隠蔽
石巻・大川小の悲劇 「イーハトーブ(理想郷)の願い」
石巻・大川小の悲劇 あふれる嘘と誤魔化しと隠蔽。
石巻・大川小の悲劇 「過去に目を閉ざす者は未来へも盲目になる。」
くちびるに歌を響かせて 未来を拓く 大川小学校
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そんなレポート記事の中に
6人の向日葵の奇跡
と言う記事があります。
どうしようもないほどの悲劇の中
なんて言っていいのかさえ分からない
でも・・・奇跡・・・
そのお話は・・・
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小さな命の意味を考える会の代表の佐藤さんのお宅に
お邪魔させていただいた時、
おばあちゃんから 漬物いただいたり
お茶いただいたりしている時に
この
6人のひまわりの奇跡 の
お話を聞きました。
佐藤さんのお住いの地区は
大川小に通う
佐藤さんのお嬢さんはじめ地区の子供
確か8人中 6人の子供が犠牲になりました。
お住いの地区は
大きな津波の被害はなかったものの
佐藤さん宅の裏手にある小さな川
その土手にも海水は侵入し
潮水につかり 何も育たない場所に
しばらくはなると思っていました。
その場所に春の過ぎたある日
芽が吹きました。
それは「ひまわり」でした。
それはすくすく育ち
夏に太陽を浴び
胸を張り
歌うように
初盆の前に
真っ黄色な花を咲かせました。
見れば 形や大きさが
それぞれに違う。
そう・・・
6種類のひまわりが
咲いたのです。
「この花は丸っこくて〇〇君に似ている」
「花びらが細くて 可愛いのがうちの孫」
お子さんを失ったご家族は
その6種類のひまわりを
誰 重なることt無くそれぞれに
自然に「自分の子供・孫」と選び合いました。
佐藤さんのお子さんは6人の中での最年長。
卒業式ではピアノを弾く予定でした。
その佐藤さんのお子さんが
佐藤さんの裏手の土手に
みんなを連れて帰ってきてくれたんだと
感じたそうです。
不思議なことに
ひまわりは 同じ場所に種が落ちても
自然には咲きません。
咲いたひまわりから それぞれの方々が
種を持ち帰り 植えなければ
芽は吹かないそうです。
人は悲しみから
いろいろな力で再生していくんだと思う
そばにいてくれる人
厳しくも美しい自然
流れる時間
そして 目には見えなくても
そばにいなくなっても
でも、感じる「想い」「魂」「存在」・・
それが紡ぐ祈りと再生への奇跡・・
小さな 優しい奇跡
「ひまわり」のように
いつか みんなが
直線の対立でなく
丸く円卓を囲むように
大川小学校の子供たちに
向き合う日が来るといいな。
それを多分 子供たちが
一番望んでいると思う。
今年の夏
このひまわりを
観に行けたらと
思っています。
これからも 大川小学校について
また書くことがあると思います。
ひとまず ここで区切らせていただいて
この4月の石巻行の中であった
新たな出会いや プロジェクトのお話も
書かせていただいていこうと思います。
ってか 来週はまた
日帰りで 石巻~女川~塩釜だ(^^;
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今から8年前のブログ
このお話を聞いた年に1回
その何年か後に1回
佐藤さんのお宅にはお邪魔しました
大川小には・・もう数えきれないな・・
今年も 夏が巡り
向日葵が咲いたそうです
時々 ご遺族に今もお会いして
今の その時の気持ちを聞き続けて10年かな
いつか・・・この向日葵が見つめる世界を
実現できるように
これからも僕は
かかわり続けていきたいんです
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