悔悟の日

 

 

「小俣さんは、なんでボランティアをしようと

 動こうと思い 動き続けてるんですか?」

 

13年前発災した、東日本大震災の活動中の

 

新聞やテレビのインタビューでは

 

必ず聞かれる質問

 

 

それへの回答はいつも

 

「始めたいキッカケは『勢い』

 続けてる理由は『惰性』(笑)」

 

頭突っ込み過ぎて

 頭抜け無くなって逃げ遅れた(笑)」

 

そうやってはぐらかしてました。

 

 

だって、もっともらしことは

 

1ダースでも言えるけど

 

それってどこか「嘘」っぽい・・・

 

ステレオタイプな感じや

 

そういう答えをアンタ待ってるよね?的に

 

思うと 性格がねじ曲がってるから

 

そういう答えはしたくないし

 

逃げ遅れたも 勢いも惰性・・

 

その方が嘘じゃないしね

 

 

 

 

これは去年 石巻で打楽器のカホンを

 

製作してもらったんだけど

 

その制作してくれた方とも話したけど

 

「会って 誰だか分かんねぇ奴に

 そんな大切な感情話せるかよ!」

 

そう言って笑いあった

 

 

 

でも時々珍しく「本心」をいう時もあって

 

その本心の一つは

 

「阪神淡路大震災」

 

30年前 その災害を見て

 

動けなかった自分へのリベンジなんです

 

 

丁度、働いてた店の店長で

 

店を開けられない、動けないってことを

 

「理由」に自分の感情や衝動を

 

「誤魔化して」やり過ごしてた

 

あの時の「自分」は今も隣にいる

 

 

だからいつも言う

 

「ボランティア?自己満足?

 あぁそうだよ、俺自分のためにやってんだから 

 俺の『アソビ』だもん」

 

 

コレが本心

 

遊び三昧って禅の世界には考えがあって

 

「世の事し、すべて『遊び』と思えば

 すべての事は楽しくなり

 そしてもっともっとしたくなり

 もっともっと上手になろうと

 向上心がたぎり続ける」

 

 

これは最近知った思想なんだけど

 

ホント僕は 13年前初めていった

 

被災地の帰り そこで知り合った

 

佐久間令ちゃんに

 

「また来てくださいね」

 

そう言われたとき

 

「はい こんな面白れぇアソビ

 やめらんないですわ」

 

マジにそう言ったんです(笑)

 

 

 

 

ボランティアがいる世界は

 

正しくない

 

なぜならそこには「負」や「不自由」が

 

あることや人がいるから・・・

 

 

世界にボランティアなんていなくなればいい

 

でも 災害は争いは止まない

 

じゃぁどうするか?

 

 

僕は僕に問い続け

 

答えを得た

 

 

 

 

「友達になればいい」

 

 

友達なら 

 

いつでも手を差し伸べあえて

 

いつでも会えて

 

笑って 泣いて 飲んで 騒いで

 

「遊べる」

 

被災者 ボランティアという

 

形をぶっ壊せる 

 

 

 

 

 

 

阪神淡路大震災から30年

 

あの時からの悔悟の想いは

 

僕の中に今も息づいています