今年もこの日が近づきましたきました。
俺は床屋です。
ただの床屋です。
正直言えば 東北に向けての活動
それに費やす 時間 お金 体力
その多くを 仕事に回すべきだろう?
内なる自分は そう自分に問いかけます。
でも・・・
あの日の衝撃
あの日からの目にして来た光景
そして何より
愛すべき 石巻の人たち
誇りに思う仲間
応援してくれる皆さん・・・
それを想う時
俺は 俺ではなくなります。
じゃぁ何なんだ?
それはわかんねぇっす
なんなのか
なんでこんなに熱くなるのか
わかんない。
でも・・・
これに目を伏せて やり過ごして生きる事は
少なくとも俺は俺で無くなる
そう思ってます。
今年も
この言葉たちを再アップします。
魂の言葉たちを
どうか お読みいただければ幸いです。
以下 僕が初めて石巻を訪れた時に
お聞きした 2011年4月の言葉たちです。
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先日も取材で
「なんで石巻に行こうと思ったんですか?」との質問を受けました。
当然な疑問で 結構この質問は受けてますが明確な説明は出来ません。
勢い・・衝動・・日本人として・・
いくつか理由はあるけどそれ一言で言い表すことは出来ません。
でも「行き続ける理由」は言えます。
それは 石巻の人たちが素敵だから
そして初めて行った日の人々の言葉 涙 思い
それを受け取ったからには応えなくてはいけない気がして。
以下はその4月18日に受け取った
震災から1ヶ月後の人々の言葉です。
ミクシーにのせていたものの転記ですので
文面おかしいとこあってもご容赦を・・
お会いした 50人くらいの被災者の方
全てが 本当に全ての方が言っていた言葉が
「伝えてくれ!本当の被災地をみんなに伝えて欲しい。
その目で見て 焼き付けて伝えて欲しい」そういわれて帰ってきました。
僕の感想は後にして その思いを先ずは伝えます。
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「俺は働くよ!こうしていろんな人が俺たちの町のために来てくれる恩返しに
俺は働いて税金納めて それが復興だし 恩返しだよ」
「俺たちは1000年に1度の災害を経験した
ってことは俺たちは教科書に載るんだ
俺たちがどうして被災して 何が問題で
どう復活したかそれが教科書に載るんだから
1000年に一度の検証が俺たちの役目だよ」
「今日 俺のおかあちゃん焼いてきたんだ 今日が通夜なのかな」
「食ってくれよ 遠慮すんなよ それしか今恩返しできねぇんだ」
「生きているだけで良い・・そう言えないんだよね」
「石原軍団なんてあんなの支援でもなんでもない
整理券なくちゃ入れないなんて 本当に必要な人に何にもしてないのに」
「ホームセンターで被災してね 屋上の駐車場に逃げて
もう駄目だって思ったけど 家族が一緒だからもういいかって 思った」
「食料も何もなくて 流れてきた魚を食べてた
イカがたくさん流れてきて でも重油や何かでベトベトで
水もなくて 流れてきたお酒で洗ってそれを食べたの。
臭くてね。でもそれしかなかったの
子供は食べるんだけど吐いちゃって・・
あっでもアナゴは美味しかった(笑)」
「ヘリコプターが飛んできた時は あぁ助かったと思っても
何もしてくれなくて 救援も来ない。
何度も何度もヘリは来るんだけど 何もしない。
そのうちヘリコプター見ると腹が立った。
やっと物資を投下したのは6日後だった・・」
「避難所に何とか辿り着いたら 定員だからもう駄目って。
せめて赤ん坊だけで言っても駄目だった ミルクさえくれなかった」
「今は知り合いのところに世話になってるの
だってね孫が「普通のおうちに行きたい」って言うの・・
ずっと家族みんなで車の中で暮らしていたから」
「助けられて 最初に孫がジュースをコップ一杯注がれてね
「ねぇ全部飲んで良いの?」って。
屋根の上で救助を待っていた何日かは
流れてきたものを一口ずつ分け合ってみんなで飲んでたから」
「行政は何もしない!」
「避難所に援助すれば大丈夫って思ってる人が多い。
テレビとかが本当のことを伝えていないから仕方がない。
こうなって初めて知ったの
テレビや行政は簡単でわかりやすいことしか やらないし伝えない」
「地獄でした 本当に地獄でした」
「幼稚園バスがね 横倒しになって そこに火災が来て みんな死んじゃった」
「今したいのは 外食したいかな(笑)焼き肉食べたい
びっくりドンキーでもいい」
「不思議なの 食糧がないときね
お腹空かないの
寒くもないの ただ子供たちにって
でね 救助されても 満腹感がないの
やっと最近普通になれたかな」
「頑張ってって言われて
やっと頑張ろうって受け入れられてきた」
「やるしかないよ」
「一日ご飯は おにぎり1つとゆで卵1つだけ
それで一日10時間 看護師も先生も働いてた」
「チリ地震の津波は 大騒ぎしたのに50センチだったから
今回も甘く見てたんだよね」
「車にこだわって逃げた人は
みんな死んじゃった」
「連絡がとれなくて
だんだん死者の数が増えて
一日たち二日たち あぁ駄目だったんだって思ってたら
泥だらけになって帰ってきたの」
「はぁ髪を切ったらスッキリした」
「今日から再スタートなの
だから髪をきるの」
「電線にですね たくさん本当にたくさん 遺体が引っかかってるんですよ。
でも勝手にそれを下ろしてあげることが出来ない。
警察がやらないといけないんです。
だから 避難所や給水所に行き時に必ず見るんです。
みんな言うんです 今日は何人みたって」
「ゴメン・・けんさん・・戻って良いですか?
これ以上いけない・・違うんです・・こんなんじゃないんです・・
この街は・・違うんです・・ネオンがあってね・・こんな暗くないんです・・
昼間は平気なのに・・夜は・・・進めないです・・
見て欲しいって誘っといてごめんなさい・・戻らせてください・・・
・・・・馬鹿な話してて良いですか?
・・・ここにラーメン屋あったんですけど
味の素の味がメチャクチャすんすけど なんか美味いんですよ・・
ここの二階に貸しスタジオがあって
ここど練習してたんですよ・・僕はベンチャーズがきっかけでドラム始めて
本来はロックなんス
東京さ行ってJAZZにかぶれてみようかって(笑)でもロックっす」
「本当は 添加物とかレトルトとか与えないで
子育てしたいって思ってたけど 打ち砕かれました
そんな事いってられないから」
「本当に自衛隊員には感謝してます 本当に頑張ってくれてる」
「見つかった遺体は下半身だけ。ポケットに免許証が入っててね。
下半身だけ?そりゃそうよ ビルだって壊す津波よ 人間なんて」
「石原軍団にはなんも思わないけど 長渕が基地で歌ってくれたのには感動した」
「お医者さんは医学的に 助けられる 助けられないって線引きできるけど
看護士はそれがないから
助けられないけど何か出来たんじゃないかって・・思っちゃいます」
「私 震災のホンノちょっと前に救急救命に配属になって いきなりですからね・・」
「避難所で働いてくれてる中学生は 親兄弟なくした子も多いの。
昼間は笑ってるけど 夜布団の中で声を殺して泣いてるんだって・・」
「遺族に説明するのが私たち看護士なんです。
先生の説明は専門的だし
先生様に意見できない的な空気あるじゃないですか?
だからそこで納得されたようでも遺族は私達に再度聞きに来るんです・・・」
「楽しかった~被災してるの一瞬忘れちゃってた」
「木を植えたら2年で枯れるあそこに仮設住宅作るんだって」
「えぇ~でも石巻広い土地ないからね」
「この地区は天国 ガスも水道も電気もある」
「僕らは年寄りから チリ地震も 三陸地震も聞いて育ったけど
いつか風化していた 僕らはこれをまた伝えていかないと
風化させないように」
「一気にたくさんの人とお別れしましたが
こうしてまた新たな出会いがあり
生き残った事を毎日確認し感謝しています。」
「これからです!!!」
「来てくれるだけでいいんです。聞いてくれるだけでいいんです。
見たいだけで来ていいんです。
観光でいいんです。
見ればわかってくれると思います 伝えてくれると思います」
「必ず 目に焼き付けてください
写真も撮ってください
一番の被害を見て欲しい そして必ず伝えて欲しい」
「必ず伝えて欲しい」
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最期の言葉が 出会う人すべての方が
僕に言った言葉です。
それを聞きながら 帰り道で
僕はどうそれを伝えようか
考え続けました。
約束したんだから ちゃんと伝えなきゃって。
でも 方法や書き方 文章なんて
あるはずが無い。
魂の言葉たちだから
その言葉をただただ
そのまま書きました。
あの日の「約束」
あの日から 何も変わってない自分がいます。
この日の想いが 約束が
この8年にわたる活動の
原動力です。
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