砂の海に夕日が沈む
赤く染まった静寂の時間が
私は好きだった
でも彼はきっかりと言った
「先生はこの夕日好きっていうけど
俺は嫌い。明日この夕日が見れるか
わからないんだもん」
この紛争が果てることなく続くこの国で
明日を夢見るなんて100年先の
未来を思うよりも遠い事だった
「ねぇ先生 去年のさ12月に話してくれた
クリスマスっての あれホント?」
「本当って?」
「朝起きたらさ 欲しがってた
プレゼントくれるお爺さんの話」
「あぁ・・そうな・・」
私は口澱んだ
私たち国境なき医師団は
アフリカのエチオピア難民キャンプで
医療支援活動して私のチームは
もう2年が過ぎてる
彼がこのキャンプに来たのは
去年の12月の終わり
年が変わる直前、弟を連れて
栄養失調とマラリアに侵されながらも
徒歩で生まれた町を出て辿り着いた
利発な彼とあまり似ていない顔立ちの弟
彼が去年のクリスマス会でのことを
誰かに聞いたのだろう
きっと聞いたときは胸躍り
なんであと1週間早くここに
辿り着けなかったんだろうと
悔しかったのだろう
でも・・・そんなそれこそ
夢のような話、半信半疑・・いや・・
信じたいと思いつつも
彼が生きた14年の時間の中
「明日」を保証された「今日」
なんて一日たりともないくらい
過酷な夜を過ごし あきらめのような朝を
繰り返していたと
夕日が嫌い
その言葉で私に突き刺してきた彼には
どうしてもその日が近づくほどに
期待と不安ない交ぜな気持ちで
ついに聞いてきたのだろう
私は思う・・
子どもが「明日」を夢見ることが出来ない
そんな国
そんな政治
そんな時代・・
作ったのは私たち大人だ
すべての罪は「大人」にある
だとしたら
クリスマスってなんだ?
なんの為にあるのだ?
イエスの誕生日なんて実は
聖書にも書いてない
勝手にのちの聖職者たちが決めただけ
でも なぜあるんだ?
何のために?
私は思った
「明日」を待ち遠しく想い
ワクワクし 神聖な気持ちで
子どもが怖がる暗い夜を越えて
明日を夢見る 明日自分の元に
起こる素敵な奇跡を信じて
明日を夢見る事の素晴らしさを
大人も子供もみんなが
気づかないうちに「平和」
それを噛み締める日なんじゃないのか?
神が幸福や平穏を与え給うのではない
私たちが 大切な人・・
家族 子ども 恋人 想い届かずとも思いあう人へ
神ではない「私たち」が交し合う
明日を夢見よう
それがクリスマスなんじゃないのか?
この赤い大地 異国の異教の国でもいい
そんなのはどうでもいい
ただただ「明日」を夢見よう
このクソッタレナ世界の中でこそ
実は もう30年前から
僕の頭の中には「アフリカのクリスマス」
という戯曲があって
何度も書きだすけど 書ききれない
でも僕の頭の中には完璧に映像としてさえ
あるオリジナルのお話があります
物凄く長大になる気もするし
短編になるような気もするし
でもいつか書きたいって切望してる話なんですね
なんか・・・あらすじ的な内容だけど
書いてみました
このクソッタレの世界に・・
メリークリスマス
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