何処から書こうか
どうかこうか・・
思えば、8年前の東日本大震災の
最初のボランティア活動でも同じことを
帰る道すがら そしてPCに向かい
考えていたな。
7月31日
始発にのり僕は岡山県に向かいました。
岡山県真備町
西日本豪雨災害での被災地
街の四分の一が水に浸かり
一部は水没と言っていいほどの
浸水被害。
その被害を受けたお宅の
片付け作業のお手伝いに向かいました。
僕はこの災害に際し
岡山県の総社市のLUCIAのノリさんこと
守安さんと
ノリさんのお客様
天野さんが拾い集めてくれた
支援物資の要請を発信して
物資を届ける中継中核になっていただけてるのを
お手伝いしたくて
こんなサイトページを
↓クリック
作ってサポートさせていただき
そして多くの方にサポートしてもらっています。
でね、僕の性格上
こうなると
「俺ネットで
『口先介入』してるだけで
なんか落ち着かね~。。」
こうなる訳なんです。
サポートするにしても
「現場」を見てない事には
いいサポートなんて出来るはずない。
コリャ行くしかね~な。。
ってんでタイミングを探していました。
で これまた性格上
真っ直ぐまっとうなルートがキライで
東北支援も気が付けば
一度たりとも行政のボランティアセンターを
通さず 登録もせず
いわゆる
「もぐり」
で支援続けてた経緯があり
これまた
ボランティアセンター通さず
自力で繋がってく方法
何とかそういう「つて」ないか
考えてたんです。
その時 もう5~6年前かな?
東京で東日本大震災から理美容師が学ぶ
震災フォーラムがあってそこで
一度だけお会いした東京の美容師さん
川月さんが岡山真備ご出身という事を知り
何かお手伝いで切るコトありますか?と
連絡したところ(こ~ゆ~とこ人見知りしない奴(笑))
ご親戚のお宅が何軒も被災されてて
ボランティアも来ないとのことで
ならば!!ってんで
始発に乗り込み
いざ岡山へ!
順調に乗り継ぎ
新幹線では
あぁ・・・京都・・
降りたい(笑)
京都ゆっくり行きたい。。。
そ~言えばここ何年も
家が壊れた街ばっかり行ってるもんな~
そんな感慨を持ちつつ
岡山初上陸
そこから伯備線(本日全線復旧!)
凄く素敵な景色を走る電車に揺られ
着いたのが
清音駅。
ここでお迎えの川月さんのいとこの
勝史さんと初めましてのご挨拶して
勝史さんのご配慮で
すぐにお宅には向かわず
被災の状況を見させていただきました。
車の窓に映し出された景色は
X japanのSUGIZOも実は
真備に入り片付けのボランティア活動を
してたんだけど
実はSUGIZOは東日本大震災で石巻でも
そして今回真備でも
ただ慰問ではなく
ガチで働いてくれるんです。
そんなSUGIZOも言うように
僕の印象も
想像以上深刻な状況の街が
目の前に広がりだす。。
家から運び出されたり
流失した家財や生活品の山
そして家ごと流され
かつて家があった「場所」
そして真備は
アルミ関連工場の爆発事故も重なり
爆風で家は破壊され
そこに決壊した川の水が。。
家の二階まで浸かり
もう住めない状況に。。
かつて見た東北の景色がそこにはあった。
2011年4月石巻市
完全に東京では報道も減り
すでに「今」の状況は伝わらなくなっている。
災害不感症とでも言うのか
ここ何年間の災害に僕らは飼いならされ
次第に
「毎度のコト」
そんな認識を持っていないだろうか?
そして
「他人事」
そんな想いを気づかぬうちに持っていないだろうか?
東日本大震災で体験した
衝撃
あれが僕らを「飼いならして」しまったと思う。
声を大にして言いたい
目を覚まそう!
比較するのは仕方がない
でも 分かって欲しい
たとえ震災 災害でなくとも
火事だろうが 津波だろうが
なんだろうが
大切な家
大事な人
失った「一人」の
悲しみ苦しみ
辛さ落胆
それはみんな同じなんだ!
災害の大きさばかりに目をやらないで
そこに生きる人
亡くなった人
全てに何かは出来なくとも
そこには「一人」がいたことを
どうか理解して欲しい。
正直まだ上手く書けないけど
とにかく見てきたこと
感じたことを書かせてもらいます
たった一度では何をかけるのか?
分からないけどとにかく
書いていこうと思います。
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