ウクライナの戦争が始まった時、
「SNSの戦争」になるって思った。
真実を暴き かつての「「大本営発表」の様な
政治家の都合のいい情報に騙されない時代だと。
でもYouTubeやSNSで流れる「映像」は
実は真実を「それ」
「コレが現状」って知らないうちに
僕らの「イマジン」を制約してたことに気づいた
だから調べたし
僕は11年前の震災を受け こういう活動もしていた。
僕は石巻市での活動の一つに
障がい者就労支援施設
「織音」
この施設は津波で被災し 仮設住宅の一角で再開した時から
応援し続け ことあるごとに顔を出し
時には仲間を連れ
この施設で作られてる「さをり織り」の体験をしてもらい
僕らが「生徒」 施設で働く障がい者の人が「先生」になり
指導してもらい
みんなで機織りを教えてもらい
そのお礼に
ランチタイムにライブをやるって企画をしたりしてたの
織音は 震災後新たにこの地に立ち上げて
言うなれば、同じ市内でも「縁もゆかりもない土地」
そしてこの場所は「津波到達地域」
ほんの少し行けば石巻港がある
つまり、もしもまた大地震があり
津波が発生したら「やられる」場所・・
障がい者施設と聞くと
敷居高い意識・・あるよね?
安易に行ってはいけないんじゃないか?
どこか触れてはいけないんじゃないか?
そんな「壁」あるよね?
俺はその壁を取っ払いたいと思っていた
コロナでとん挫したけど 今まで2回かな?
イベントを織音でやらせてもらったけど
その参加者は「東京組」
その参加者を地元の人に変換したいと画策してた
それは何故かと言うと
災害弱者と言われるカテゴリーに「障がい者」はいるよね?
シリアスな災害や状況になった時
この地域には この場所には
障がい者が集う場所があり
彼らは「誰か」の助けがないと マジに死んでしまう
だから この場所にそういう人がいる
それを地域の人に知ってもらい
織音なら織音が地域に根差すことが
セーフティーネットになるって思ったから
それは「知らない」と「想像」しえないんだよね。。。
被災者と言う人の応援の次は
この災害地の障がい者への向き合いが俺の次のテーマだった。
ささやかな日々の交わりが
いざと言う時のチカラになるのは間違いないから。
そんな俺だから 調べてみたウクライナの戦火のなかの
障がい者・・
きっとね・・
これは想像だよ・・
目の不自由な方は爆撃の音に 頼りの目以外の音という
情報源を奪われ 足元のグチャグチャさに動けないだろう
瓦礫に埋もれた ろうあ者は助けを呼べないだろう
四肢が不自由な人は動けず
知的障害の人はパニックになり 援護者も身の危険を感じ
責めることは出来ないけど、彼らをおいて逃げたかもしれない・・
クソったれすぎる世界が
映像に載らない メディアが取り上げない
政府も人も見向きもしない世界で広がっている
知らないでもいい
でも、想像する 出来る人であろうよ!
毎日放送され 配信される「映像」
その映像は紛れもない「事実」で
SNSの時代 それはリアルタイムに更新され
悲惨さや悲しみを伝えるけど
俺はまだ 一番の災害弱者をレポートしたメディアを知らない。
俺が足繫く東北に通うのは
だから目に映り 耳に聞こえる
映像と言葉「だけ」が世界にしたくないから
本当を知りたいから
それも俺は
「プロの野次馬」と自分で呼んでいる。
でも 野次馬も叫べば 世界なんて変えれないけど
誰かの心は変えれるかな・・って信じてる。
要は何が言いてぇかって言うと
俺らの周りには弱いい人がいる
別に障がい者だけじゃないよ
女性や子供 助けが必要な人が今もいる
ドラマの となりのチカラ じゃないけど
あなたの隣にいる「その人」を想像して欲しい
あなたの近くに 逃げれない人 はいませんか?
コメントをお書きください