郡山での
仕事の激アツなお勉強会を中座して
向かったのは
宮城県石巻市。
全くアウェー感がない
地元感さえ漂う中
駅に鎮座まします仮面ライダーの前で
写真を撮るのがスゲ〜恥ずかしい
どーも僕です
到着してホテルにチェックインして
そそくさと向かうは
僕の石巻の実家みたいなもん
ダイニングバー GINGA
このお店について語ると物凄く長くなるけど
僕が僕らが東日本大震災のボランティア活動なんて
大それたものを出来たのは
ひとえにこのGINGAがあったから
2011年4月にはじめて石巻入りした夜
これまた今思えばアホだけど
まだ津波の水で街中がぬかるんで ご遺体さえあちこちに
ある中 人がいなくなり 音の消えた街に
もーゼッテー消えない音を轟かせてやるぜ!って
震災から一ヶ月そこそこに街で慰問でない
ガチのジャズライブをやったのね
今思えば本当にアホです
でもあの時はその衝動が抑えられず
馬鹿騒ぎして 津波にやられた店片付け
濡れたソファにゴミ袋被せ
やっちゃったのね
そのライブに来てくれたのが
まさかこんな家族のような存在になれるとは
その時思いもしなかった
ダイニングバーGINGAのパパとママ
その日からもう本当に家族の一員のように
遠慮もなんもない関係
そのGINGAで
二年後企画してるGOD SAVE THE ROCK‘N’ROLL
というイベントをこんな感じにしたいんだ〜と
その2011年のアホなジャズライブの会場を
貸してくれ その時出会ったショットバーBUGの
石巻で一番の信用できる友人ユウスケさんと
待ち合わせ話そうと向かったんだけど
これまた石巻で最初のボランティアは一人で
被災した方の髪を切ったんだけどその場所は
彼の家の軒下借りたご縁で出会った
石巻産天然ドカドカドラマー 令ちゃん
が 太鼓叩いてるの聴きながら待って
飲んでたのね
で ユウスケさんちょい遅れて来たんだけど
あまりのドラムのうるささ(笑)に
話できないねって
移動したのが
超絶カッコいいロカビリーバンドの
ベーシストにしてビートステーションという
バーをやってるKennyさんの店に
やっとそこでGOD SAVE THE ROCK‘N’ROLLの話しして
僕が考えいていた日取りや
音響や人の相関図的(イベントってこれ重要なので。。。)
話をして
イメージしてた物を修正したりして
でもだんだん書きながら思うのが
徐々に記憶がI MY ME。。。(笑)
でもちゃんと話したよ!
Kennyさんも出て欲しかったんで
Kennyさんにもよろしくお願いしま〜すを約束して
でビートステーションを出て
じゃぁユウスケさんのBUGに行こうかってなって
でもGINGAのママも一緒に飲みたいって
言ってたから僕はGINGAに戻り
ユウスケさんは先に店に行ってますね〜ってなったら
GINGAは令ちゃんバンドのカオスが広がり
深夜1時にも爆音で騒いでてコリャだめだ
ってなり(令ちゃんあるあるなんで慣れてます)
ママも動けない 俺も捕まる
ユウスケさんに動けない〜って連絡して
この日はユウスケさんとはお開きになって
僕は捕まり 飲まされ
目覚めた朝に青ざめた。。。
朝やん。。。
今回の石巻は
「あなた」のいない初の石巻。。
パパが去年末急に亡くなってしまい
正直 郡山から仙台についた時駅のホームで
それを思ってしまったら泣いちゃって
いつも夜はパパと飲み歩き
お互い介助しながらヘロヘロ歩いては
気づきゃどっちかが寝てるか勝手に帰ってる
そんな夜を過ごして来たね
今回の石巻はそんな重ねて来て
当たり前に思えて重ねた8年が断たれた
最初の夜。
正直怖かった。
あなたがいないことを確認しちゃう事が
最初は反目しあい
お互い嫌いなもん同士で
目も合わさず話もしない
ボランティアなんて自己満足だ
お前らみたいな連中が街をダメにする
そう言い放たれ
このクソじじィ!ってね。。
でも8年過ぎてわかった
それ全て真実で
僕は気づけばあなたが言った事を確認しながら
気をつけながらボランティア活動みたいなこと
重ねて来れたから今がある。
この震災は1000年後の教科書に載る
俺たちは1000年後の教科書に載る
だから何が起きて何があってどうなって
どうして 何が問題で どう復興したのか
1000年後の人に伝える責任ある
この言葉を守るには1000年後に答えが出るから
僕の生涯じゃ足りないね
だからこの想いは僕が継いで
それを誰かに繋げるために
GOD SAVE THE ROCK‘N’ROLL
の内容に行き着いた
あなたの「いなくなった」街にはしない
あなたの「いた」街にするんだ。
あの世でまたルイ13世(高い酒よ〜)
一緒に飲む時
俺繋いできたぜってドヤ顔するために(≧∀≦)
で あなたのいつものハニカム笑顔見るためにね
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