この通わせていただいて ご縁いただいた
仮設住宅の方々と「仮設生活お疲れ様!仮設打ち上げ!」宴会。
・・・そう ただの宴会です(笑)
そう言う意味ないことが出来るようになったんです。
これで 僕ら東日本大震災ボランティアグループ・cocoroは
活動を一旦停止いたします。
で!!
翌日は
↗ 是非クリックして!!
機織り体験&ミニライブ
をしに行きました!
この織音は
もともと「こころ・さをり」という名称で活動していて
僕は2012年2月に
飛び込み営業の様に
当時 仮設住宅に皆さんが移り
さむい仮設住宅の現状を知るに至って
布団の支援が多かったんだけど
仮設住宅には「収納」がほぼなく
「春には困るよな・・」
そう思いついた僕は 布団圧縮袋を買い集め
車に満載して 目に付く仮設住宅を回り
配って歩いてました。
その中で 訪れたのが
「こころ・さをり」
これがその時の写真。
その時 僕は
震災が
健常者もハンディを持ってる人も
関係なく襲い
障がい者の方が如何に苦境にあるかを知りました。
真の災害弱者と言う存在を。
でも
同時に仮設住宅支援の企画が動き出してて
障がい者支援までする余裕はなく
こころ・さをりは
「さをり織」と呼ばれる
機織りをして生活の糧にしていると知ったので
僕はその製品を買い込み
東京で販売しするという微々たる協力と
石巻に行くたびに
ちょこちょこ顔を出す程度しか出来てませんでした。
でも
その当時すでに
この施設で この人たちと
音楽や食 それらで楽しい時間を共にしたいな~と(笑)
妄想してて
それが いよいよ
5年越しの夢をかなえる時が来たんです!
最高の仲間を引き連れて!!
機織りは
この「糸」を
思い思い自由に選び
この機織り機で
縦糸に横糸を絡めて編んでいきます。
このブログの
数少ない読者の皆さんなら
ピンと来てますよね?
そうです この織音の製品は
僕が仕掛けたクラウドファンディングや
先月のMBLTフェス会場でも販売され
会場の物販コーナーでも好評をはくした
本当に手触りも 使い心地も
よい製品。
僕は常々
被災した人が作った・・とか
障がいがある人が・・・なんてファクターなくても
製品として十分売れる!!そう思ってます。
彼らは クリエイターなんです。
そんな織音にお邪魔して
レッツ 機織り!!
初めての僕らを見かねて
先生の熱血指導!!
一番 一生懸命教えてくれたのは
彼女(^^)
常にニコニコして
常に周りを気にかけてくれて
みんなから「先生」と呼ばれるようになった彼女
そして 一番 先生の手を焼かせたのは・・・
この人
これを企画した時
「スミちゃんはガチでくるぞ~」って思ってたら
本当にガチ!
試行錯誤を繰り返し その度先生に教わりながら
理想の布を紡ぎ出そうと頑張ってたら
まさかの
一人取り残される(笑)
照明も消え
掃除も終了・・・(T T)
うそ(笑)
最後までは本当だけど
照明消えたのはネタです(笑)
機を織っているこの光景を見て思ったの
みんなの中に僕らはまじり
みんなと話しながら
教えてもらいながら
冗談言いあい爆笑しあいながら
知らない者同士が
一つの部屋で 同じ作業をしてる。
キレイなモノを紡ぎたい
誰かに喜んでもらいたい
それで
自分も喜びたい
ただその想いがだけが 充満する部屋の中。
男も女も
年齢も
得意 不得意
キャリア
障がいの内容・・・
全員が全員
「違う差」がある。
さをり織は
「差を織り込む」
と言う意味。
被災した
被災していない
ボランティアする側
される側
・・・勘違いすれば
「僕らはそこを越えて一つになった」
みたいなコトいうんだろうけど
僕らには
「差」は厳然とある。
消えない 消せない
境界線 ボーダーは
やっぱりある。
でも・・・
そんな「差」すべてを
織り込むから
認め合うから
そこに変な差が無くなり
その差さえ織り込んで
僕らは違う事を楽しんだ。
この光景を見た時
気が付いた時
この企画が
5年かかった意味が分かった。
スミちゃんがMBLTをやった意味が分かった。
cocoroの 最後の日は
これでなければならなかったんだ。
ボランティアではない
支援ではない
障がいも
健常も
全部織り込むこと
こうしてボランティアって
「ただの人の繋がり」になって
消して行けるんだ。
今でなければ 僕はここに気づけなかった。
午前の仕事が終わったら
みんなでお昼を食べて
その後は・・・
ミニコンサート!!
これは「支援」じゃないよ
「ボランティア」でもない
これは「さをり織」のやり方を
教えてくれたことへの
僕らからの お礼の気持ち
長くなったんで
続く・・・
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