ラジオ石巻に(電話で)出るよ〜

先日 この企画の告知活動に

お邪魔した石巻

 

早速貼っていただいて

あざまーす!!

 

 

 

いや~ この日の石巻は

暑かった~

脂肪細胞で出来ているオイラにしては

もう少しでバターになるところでしたよ(-_-;)

 

この企画を宣伝して

少しでも知っていただくため

今まで石巻でご縁いただいた方々のところや

初めてのところ 様々お願いして回り

 

途中 石巻日日新聞の記者さんと出会い

その方にも 是非取り上げてください!と

お願いし 一応の快諾を得て

(その後 載せていただけるか取材に来てくれる様子!!)

 

そしてそれに気を良くして

オイラ 当初の野望を叶えるため

ここに来ました。

 

 

 

ラジオ石巻。

 

ラジオ石巻は

2011年3月11日の震災発災時点から

避難の呼びかけや 情報の発信をつづけた

 

「こちらはラジオ石巻です。大きな地震が発生しました。

まだ揺れが続いています。

火を使っている方は火をすぐに止めてください。

安全な場所に避難してください。

海岸、沿岸近くの方は津波に注意してください。

今すぐ海岸から離れてください。高台に避難してください」

 

発生当時、スタッフ全員が会社にいて

全員無事で

交代しながら地震の情報を

放送し続けていました。

 

その時はまだメールは通じていて、

リスナーからたくさん

 

「今屋根の上にいます」、

「子どもがいます」、

「助けてください」

 

津波に襲われた自宅2階から、

携帯電話で必死に助けを求める

メールを打ち続けた女性がいた。

 

雄勝小学校の教師は、30kmの道のりを歩いて

ラジオ石巻にたどり着き、

地区の惨状を伝えた。

 

幼稚園にいる娘の安否がつかめず、

わらをもすがる思いでラジオ石巻に飛び込み、

情報を求める母親がいた。

 

「ラジオ石巻」はリスナーから

数多くのSOSメールを受けた。

生死の境にあるリスナーを助けたい―と、

アナウンサーはメールや安否情報を伝え続けた。

 

ラジオ石巻では

ラジオ石巻のメールアドレスを伝え、

「情報ください」と呼びかけていました。

 

夜だったか停電で放送がいったん途切れるまで

情報を発信し

励まし

命を繋ぎ続けた・・

 

それは1冊の本になってます。

 

 

 

そんなラジオ局。

 

 

 

オイラがラジオ石巻に

アポなし突撃お願いにあがった時

対応してくださったのが

 

後藤恭子アナウンサー。

 

いきなりの僕に

笑顔で対応していただき

図々しくも

「告知などご協力していただければ・・」とお願いして

その翌日 すぐにご連絡いただき

後藤さんの担当する

 

「復興へ!午後もやっぱり764」

 

への電話で

お話しさせていただけることがが決まりました。

 

ご縁の有り難さか 後藤さんの担当曜日は火曜日で

オイラは休みの日で出やすい!

 

後藤さんのプロフィール見て驚くことに

THE ALFEEが好き!!

なぬ~~~~!!でしょ?

 

アルフィー好きな変わりモンそうはいない!?

それがこうしてご縁頂けるなんて

 

ってんで 最近石巻行く前に

よく聴いてテンション上げてる曲

 

 

 

オイラにとっては

震災直後の

そんな状況下で

戦い続けた尊敬と

なんだろう・・言葉にできない感情のある

ラジオ石巻に出れる・・

 

そして今回のイベントは

 

石巻日日新聞にも

取り上げていただけるかもしれない

 

日日新聞といえば

 

 

あまりの有名な

 

震災翌日の「壁新聞」

 

情報なんて集めるだけでも大変で

常識からいえば

新聞なんて作れるはずがない

記者の方々も家族もいるし

正直 自分のことで精いっぱいの中

「誰か」のために

壁新聞を作った。

 

「紙とペン 人がいれば

 その作業はできる」

 

 

まさに ペンは剣よりも強し

想いあれば 何でもできる

それをあの極限の中体現した新聞に

載せていただける(かも)

 

ラジオ石巻  石巻日日新聞

この言葉で言い表せない

メディアに 

僕らの想いを載せていただける

5年半やってきた ご褒美なきがする。

 

 

で!!

そのご褒美を

美味しく平らげられるか!?

ちゃぶ台ひっくり返して グダグダになるか!?

 

さぁ  

 

本日15:00より

ラジオ石巻で

オイラが どっちに転ぶか

お聞き逃しなく!!

 

ネットでも聴けるので

ぜひ!!

 

ラジオ石巻 サイマルラジオ