なんども言うけど 俺は被災もしていないし
何も失っていない
ただの「部外者」
いつも知ったようなこと偉そうに言ってるけど
俺は この街では 余所者。
それを自覚し続けたい。
そんな余所者も
5年半 いろんな人の支えと
たくさんの「想い」を
おあずかりらせていただいて
今日まで来ました。
5年半…
俺個人では 思うとこあるけど
この街 東北では
その意味を俺が斟酌する 語る事は
はばかられる。
今月5日、6日と
石巻を歩き
歩けない距離のところは
最近の愛車
駅前レンタル自転車
シルバーホーク号で
走り回る。
レンタカーを借りる余裕なんて無い(ーー;)
あっ ちなみにこういう宣伝や
今を知る、話をする活動には
みなさんの支援金は
びた一文使いません
みなさんの「想い」は
石巻の方々のためだけに
使わせていただきます。
毎回駅前で借りる
このシルバーホーク号はじめ
その他のチャリさ
3段ギア付きなんだけど
3段目のギアにしても
アホのように軽くて(-_-;)
虚しいほど漕いでも進まない。。
どれくらい進まんかというと
ばあさんのチャリに抜かれるくらい。。。
だいたいの人が
「えっ!!あそこまで自転車で行ってきたの??」
驚愕する距離を走る。
驚愕の後 必ず笑う
俺の膝はもっと笑う。
今回一番悲惨な時は
物凄い急坂の
もう山だよね
その山道をチャリ押して昇り切り
エイドリア~ン状態で
ガッツポーズして
さぁあとは下りだ!!と
猛スピードで下り始めたら
被ってた帽子が
風にあおられ
ぱぁ~っと
後方に・・・
つまり坂の上めがけ
飛んでく訳ですよ!
あぁ~~っと思っても
シルバーホークのブレーキは
これまた死ぬほど甘い!!
止まらない!!
何とか止まり
シルバーホークを停めて
せっかく下った山道
また登るワケです・・・・
ありゃ泣けたね・・
で 夏はだいたい汗みどろの姿みて
ビールか麦茶 アイスコーヒーに
あやかるんだけど(お金は払う・・・時もある(笑))
今回は アイス貰った。👈子供か(ーー;)
そうして辿り着いたのは・・
この写真はね
石巻港近くの津波被災地の今。
家の痕跡たち・・街の痕跡たち
世に言う
「 復興」の
5年半過ぎた
現在の
ある一面。
この地区は今もこう言う光景が
あの日と同じように広がってる
そして痕跡ではなく
今も
誰もいない家
津波でぶち破られたままの壁のアパート
その内部。。。
これも今の石巻です。
「報道」と言うものが無くなって来れば
「復興」したとか「解決」したとか
世間はそう思う。
偉そうに言ったって
俺だって日々起きる事件の
後日譚すべて知ってるわけじゃなく
後から知ったりして
「え~まだなんだぁ・・」って思うことだらけ・・
当然 仮設住宅は今もあり
仮設のお店で仕事をする人もいる。
別に だからそれを伝えていかなきゃ!
みたいに偉そうには思わんけど
ただ通わせていただいてる身として
気付いた時 想う時 折に触れ・・・
取りこぼされる 仕方がないけど
取りこぼされる何かを
俺が拾えるものがあるなら
拾っていきたいって思うかな。
別にね
悲惨さを強調したいわけじゃない。
そんん中でも
震災で人生が変わった男と
震災で家族を亡くした男と
震災でも変わらずに人を迎え続ける男と
石巻来ちゃぁ 酒ばかり飲んでる男とが
ギター弾いて 太鼓叩いて 歌歌って
笑って 酒飲んでさ
人生をつないでるんですよ
みんな。
光が強くなれば
影も濃くなる
影が濃くなれば
見えなくなる
見えなくなれば
忘れられていく
ただ俺は
この街で光と影
その両方を
しっかり見ていきたいだけ。
だって約束したんだもん
初めての石巻で
「本当の被災地を
目に焼き付けて
かならず伝えてくれ」
って言われて
「かならず伝えます」って
復興ってなんだろうね?
今日で 5年半。
それでも今だ「被災地」は
各地に広がる・・・
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