石巻市立
大川小学校
東日本大震災の大津波で
全校児童108人のうち
74人が死亡・行方不明になった
学校管理下での
最大の被害を出した。
大川小のこの事故に関して
自分なりに関心をもって
関わらせていただいて
現地に行ったり
ご遺族の方にお話を聞いたりした中で
自分なりにまとめた記事。
↓ クリック
ご遺族会の
「小さな命の意味を考える会」の
ホームページにも
リンクしていただいています。
全12の記事。
長いけど・・・・
読んでいただけると
何があって
どうなって
どこに問題や
疑念の本質があるか
少しはご理解いただけるかと・・・
去年
小さな命の意味を考える会の代表の佐藤さんのお宅に
お邪魔させていただいた時、
おばあちゃんから 漬物いただいたり
お茶いただいたりしている時に
この
6人のひまわりの奇跡 の
お話を聞きました。
今回
モモさん
そして そら 陽太の子供たちを
この夏のタイミングで
石巻に連れて行くにあたり
どうしてもこの ヒマワリを
見せたくて
佐藤さんに連絡をさせていただき
見させていただきました。
佐藤さんのお住いの地区は
大川小に通う
佐藤さんのお嬢さんはじめ地区の子供
確か
8人中
6人の子供が犠牲になりました。
お住いの地区は
大きな津波の被害はなかったものの
佐藤さん宅の裏手にある小さな川
その土手にも海水は侵入し
潮水につかり 草木は枯れてしまい
何も育たない場所に
しばらくはなると思っていました。
ところが
震災のあった2011年の夏
ある植物の
芽が吹きました。
それは「ひまわり」でした。
それはすくすく育ち
夏に太陽を浴び
胸を張り
歌うように
初盆の前に
真っ黄色な花を咲かせました。
見れば 形や大きさが
それぞれに違う。
そう・・・
6種類のひまわりが
咲いたのです。
これは
咲いた年 2011年の写真です。
この写真が先日見てきたときに
写したものです。
6種類はまだ全部咲いていなかったけど。
ヒマワリの種類が6種類あるってことも
僕は知らなかったし
何より
こんな田舎に
6種類ものヒマワリが
ご遺族のお宅の場所に
その年に咲く・・
こんな事って・・・
「この花は丸っこくて〇〇君に似ている」
「花びらが細くて 可愛いのがうちの孫」
お子さんを失ったご家族は
その6種類のひまわりを
自然に「自分の子供・孫」と選び合いました。
佐藤さんのお子さんは6人の中での最年長。
卒業式ではピアノを弾く予定でした。
その佐藤さんのお子さんが
佐藤さんの裏手の土手に
みんなを連れて帰ってきてくれたんだと
感じたそうです。
不思議なことに
ひまわりは
最初に咲いた土手
同じ場所に種が落ちても
自然には咲きませんでした。
咲いたひまわりから
それぞれの方々が
種を持ち帰り
植えなければ
芽は吹かないそうです。
本当に子供の様・・・・
人は悲しみから
いろいろな力で再生していくんだと思う
そばにいてくれる人
何もかも奪ってもなお
厳しくも美しい自然
流れる時間
そして
目には見えなくても
そばにいなくなっても
でも、感じる「想い」「魂」「存在」・・
それが紡ぐ祈りと再生への奇跡・・
小さな 優しい奇跡・・・
大川小学校は
先日 結審して
判決を待っている事案があったり
震災遺構としての保存のあり方など
「話し合い」が続く
今までの経緯、
必ずしもご遺族のに行政が向き合って
対応してきたとは言えない。
不思議と 行政は
大川小を震災関連の冊子や
様々な物から除外してる・・
不思議なくらい あからさまに・・
子供たちが願うのは
大川小が
怒りや悲しみの証拠の場所に
なることじゃないと思う。
楽しかった思い出
嬉しかった出来事
それがたくさん詰まった
大切な場所
そこを
そこに
どう向き合うべきか・・
「ひまわり」のように
いつか みんなが
直線の対立でなく
丸く円卓を囲むように
大川小学校の子供たちに
向き合う日が来るといいな。
それを多分 子供たちが
一番望んでいると思う。
その証拠と言っていいのかな
ヒマワリは全て
大川小の方を見て
咲いていました。
5年間。。。
続けてきた 続けさせてもらってきた
もしもそれを誇るとしたら
俺は
人とのご縁
これを誇るにつきる
今も 伝えたいこと
伝えなくちゃいけないことがある。
それを
これからも
微力だけど
無力ではない俺は
伝え続けるために
知ることをあきらめないで
向き合っていく。
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