福島に行ってきました。
国道6号を北上し
原発災害の爪痕残る街を見てきました。
世界中で注目され
各メディアにも取り上げられた
漫画「いちえふ」
オイラも ちょこっと最終回に
(無断で≪爆≫)出演。
前後するけど
もう 福島ではオイラの
定番食堂になる予感の
「からすや食堂」
今は 元にあった場所から少し離れた
小学校の校庭を間借りして建てられた
浜風仮設商店街で
絶賛・年中無休で営業中!
(多分 来週また行く予定!!)
でね・・
食べた後
この浜風商店街さんたちが
元々立地していた場所に行ってみた。
そこは
この辺りが 商店街が元あった場所。
今もまだこの状態・・
写真の右奥に 小さな建物わかる?
電信柱 のすぐ下
これ祠なの。
ここは 津波に襲われ
その後 火災にすべてを焼かれた場所。
この写真が
震災後の上の写真の祠ね。
津波にも火災にも負けず
立ち続けたのかな・・
今度聞いて来ようと思う。
ともあれ
今もまだ 「仮設」という場所に住んだり
そこで「働いている」人たちは沢山いる。
よく
「まだ仮設はあるの?」って聞かれるけど
まだ たくさんの方がそういう生活を
しています。
たしかに 賠償金もらってんだろ!?
とか なんだかんだ
言う人いるけど
・・・まぁ・・
5年以上・・
こればっかりは お金で
購えきれる話じゃない気もするけど・・
でもね!
どんな悲しみや悩みの中でも
こうして
それをぜ~んぶ
内包して笑う人が(笑ってない俺・・)
暮らす人が 魅力的な街なんだよね(^^)
で 車は一路
国道6号をひた走り
Jビレッジを過ぎ
「富岡」へ。
この富岡は
オイラ2度ほど
震災前にこの街を訪ねたことがあるの。
目的はなくてね
ただ 本当に意味もなく。
この震災に際して
原発事故に対して
自分でも異様なほどの関心や
思い入れがあるのは
この
「来たことがある街」
それがどうしてこうなってしまったんだ?
っていう思いからなのかな・・って思う時もある。
この
富岡トムトムで飯食って
この富岡駅前の
ビジネスホテルに泊まり。
ホテル見上げたら
ホテルの窓から海を見てる
下着姿の綺麗な
おねぃさんが見えて
「うぉぉ~」となり(←バカ)
何よりの想いでは
この回転ずしアトム。
今のアトム・・
ここの寿司
くそマズかったぁぁぁ~(´;ω;`)
それで覚えてたの。
そして この回転ずしアトムが
オイラに教えてくれた。
原発と街
その関わりの意味を。
原発事故後の今
食品への放射線 被爆などへの
関心や警戒は一頃ほどでないけれど
今もある。
この回転ずしアトムに行った時
「おいおい 鉄腕アトムか~。。。
ん?店内に 一切アトムもいなきゃ
お茶の水博士もいない・・何がアトムだ??
しかし クソまじぃ~寿司だな~」
そんなこと思っていた。
(再開した必ずもう一度食べ行くから許して)
そして 震災 原発事故・・・
ある日気が付いた
「回転ずしアトムのアトムは
鉄腕じゃなく 原発、原子力のアトムなんだ!」
・・・今じゃ考えられないでしょ?
食べ物屋に「原子力」なんてつけるなんて・・・
でも
それが
この街の日常だった
震災前まで
2011年3月10日までの
日常だった。
原発と街は一体だった。。。
この看板はもう撤去されてるけど
(老朽化で☜ここ変に過大に利用しちゃいけない
冷静に書きますよ)
オイラね 原発はなくした方がいいと思ってる
だけど 非難や批判 両極に引きあうような
議論はしたくない
中間にいたい。
真実はそこにしかないと思うから。
事故前まで この街が
選び取ってきた生き方
それは、とりもなおさず
俺たちが選んできた世界。
自由に好き放題に電気が溢れる暮らし・・
だから 俺は非難する時は自戒してる
だから 俺は必死に考える
いつも言うように
これは俺たちの問題だから。
可愛い駅舎だな~と思った
富岡駅は 津波にあい
今は取り壊され ホームがそこが
かつて駅だったって呟くように
たたずみ
除染で出た廃棄物の置き場になっている。
トムトムは
来年4月にも避難解除がされると言われてる
富岡に 再び活気を呼ぶ核になれるかな?
富岡の空
真っ青な空。
東京にもNYにも世界につながる空
人によっては忌み嫌う空気
でも俺は綺麗な空だって思った。
あたりまえだけどね。
同じ空の下
俺たちは 何をしてしまい
何を壊してしまい
何を生み出していけばいいか
いちえふの街を行く旅は続く・・・
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ご予約は
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orb hair museum
電話 042-782-3055
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営業時間 8:00~19:00
(パーマ・カラー 18:00まで)
定休日 毎週火曜日 第一・第三月曜日
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